アフリカとの出会い59
 「楽しき通勤地獄」    

  アフリカンコネクション 竹田悦子

 孤児院での仕事の任期を終えてから、首都ナイロビでの仕事の為にすぐに住み始めたのがムロロンゴ(mulolongo)という町だった。
 住まいは、2階建ての集合アパートだった。ここには、2001年の5月から2002年の5月までちょうど1年間住んだ。日本人は私1人で、「ママ・ジャパニ」と知らない人からもあだ名で呼ばれていた。「日本人のママ」と言う意味だ。住んでいるだけでも目立っていた。そして、毎日乗り合いバスで通勤していた。「ナイロビに住んでない」「豪邸に住んでない」「車がない」という珍しい存在の外国人の私は、まさに好奇心の的だった。私の方は、「普通のケニア人」との「地域生活」を楽しみに移り住んできたというわけだ。

 朝8時ごろの乗り合いバス「マタツ」でナイロビの仕事場まで通勤していた。10人前後しか乗れない小さなバス、しかも始発駅ではないので、私が乗り込む駅ではすでにほとんど満員で、運がよければ1,2人が乗れるといった具合だ。当然のごとく、行列が出来ていて、長いときには30分くらい待って乗っていた。時速は、100キロぐらいで出ているのだが、ナイロビに近づくほど渋滞になり、遅くなっていく。小1時間かけてナイロビに辿り着く頃には、疲労で身体はへとへとになる。

 そして仕事を終えて、帰るときがまた一仕事だ。今度は、ナイロビのダウンタウンにあるバスターミナルで、私が帰る地域行きのバスの列に並ぶ。17時過ぎに並ぶと、いつもすでに50人くらいの列が出来ている。バスターミナルには、大型バス、小型バスやタクシーなどの乗りものが行き先別にやってくる。学校の運動場1,2つ分くらいの広さのターミナルは人や乗り物があふれんばかりだ。みんな早く帰りたいのは同じだ。日本の都会のラッシュアワーの様子と全く同じだ。しかし、違うのはここに来るときのわくわくした気持ちだ。

 私が駅に着くと、まずコンダクターと呼ばれる交通整理のおじちゃんがいつも挨拶に来てくれる。「Habari ya kazi?」(仕事はどう?)と満面の笑顔で握手してくれる。その後、キャンディーやティッシュを箱一杯に詰めて肩に乗せて売っている雑貨の売り子のおにいちゃんが近づいてくる。「Candy?」(キャンディどう?)と訊いてくる。いらないというと、「bisket?」(ビスケット)、「tissue?」(ティッシュ)とすべての商品を紹介してくるのである。その楽しそうな笑顔。その次は靴磨き屋さん、腕時計屋さん等。商品を手に持ち行商する人々が街には沢山いるケニア。そして人が集まる場所には、必ず彼らがいて、外国人ともなると必ず営業してくるのだ。毎日同じ場所同じ時間にいる外国人女性の私。やりとりするだけでも疲れるし、目立つし、正直うんざりすることもあった。「買わない」といって目もあわせないこともあった。でもそんな遣り取りを毎日続けていると、彼らと会話しなかった日は、何故か彼らが心配になってくる。いつの間にか彼らに対して友情に似たものが芽生えているのだ。こんなことがあった。風邪を引いて2、3日顔を出さなかった後、暫くぶりにバスターミナルの傍を通ると、「どうしたの?」「元気だった?」「心配したよ」等と言ってはいろいろと訊いてくる彼ら。「商売目的の嘘の心配なんだろう」と思っていたら、本当に心配そうに何人も何人もそう言ってくるのだ。

 財布にお金がなく、バス代がないことに気が付いたときには、「いいよ、貸してあげる」と連絡先も分からない私に小銭を貸してくれる。バスがストライキをして一台も運行しなくなった時もあった。「どうやって家まで帰ろう」と悩んでいると、いつもの行商集団の1人1人が、いろんな案を出してくれた。「車を出してあげる」「最寄りのバス停まで連れて行ってあげる」「ナイロビの親戚の家を紹介してあげる」等。正直どれもあやしそうだ。でも彼らを100%信じられない自分がとてもいやな人間に思えてくるのだ。

 「ここはアフリカ、どろぼうも、うそつきも何でもいる」そんなふうに自分に言い聞かせ続けて生活していると、親切と嘘つきの違いをどこで判断するのか分からなくなってしまう。外国で暮らすには人の親切を簡単には信用してはいけないと肝に銘じておくことは大切なことだと思う。しかしそれだけではただの人間不信でしかない。

 そんなこんなで、飴を買ったり、傘を買ったり、ちょっとした買い物を彼らからするようになっていた。でも私が心配したように「もっと買って」と押しつけてきたり、別の行商が殺到したりということはなかった。

 それよりも、バスの席を取って置いてくれたり、気持ちだからといってビスケットや飴をくれたりする。一日数百円の小銭を稼いで生計を立てている彼らにとっては、そんな小銭も楽な親切ではないはずだ。ケニアでは友達の友達は、その友達には親切なのだ。気がつけば、いろいろな人が楽しくて、親切だった。

 日本でもラッシュアワーの時間帯に電車に乗ることがたまにある。人の波に呑まれながら、あっちこっち押されたり、長い行列で順番を待ちながら、ふとした時にケニアでの日々を思い出すことがある。あの彼らの笑顔、会話、その親切。ラッシュアワーの苦痛はケニアでも同じだ。でも思い出すのはナイロビでの楽しかった通勤時間のことばかりなのである。

 ケニアには袖振りあうだけの楽しい他人が沢山いる。このような人たちとの時間がいたるところにある。アフリカの諺に、「山と山は出会わないが、人と人は出会う」というのがある。日本語でいうなれば、「一期一会」だろうか。到る所にある束の間の楽しい他人との触れ合い、そんなケニアでの時間がとても懐かしい。



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